本日もブログをご覧くださりありがとうございます。前回西武ゆかりの地を訪問しましたが今回は群馬県の村、上野村を訪問しました。ここも車で訪れましたが昼食を食べただけでした。
1 レンタサイクルで県境へ行く
2023年11月21日
高崎(8:21)→下仁田(9:23)
ホテルをチェックアウトして高崎駅から上信電鉄に乗車します。ICカードは使えないのできっぷを購入します。上信電鉄にはJR東日本をはじめいろんな会社から譲り受けた中古車両が走ってます。写真は元西武鉄道の車両。
上信電鉄は最初上野(こうづけ)鉄道として開業しましたがその後長野方面への延伸を計画を立てて上信電気鉄道に社名変更。しかし長野方面への延伸計画は世界恐慌で断念されてしまいました。群馬と長野を結ぶ計画があったのに群馬県だけで路線が完結というのは完璧なタイトル詐欺。
ちなみに埼玉県内を走る東武東上線も東京と上州(群馬にあたる)を結ぶ計画があったから東上線という名前なんです。
下仁田駅からは南牧村、上野村にむかう乗り合いバスが発着しており今回は上野村へ乗り合いタクシーを利用。下仁田の各地区から乗り合いタクシーが到着して降りた乗客は下仁田駅に向かって電車に乗り換え。
下仁田駅(9:30)→上野村ふれあい館(10:00) 上野村営バス
少し遅れて上野村営バスが到着しました。このバスは富岡市を起点としており上野村の川の駅上野までを結びます。南牧村を通り3.4㎞の湯の沢トンネルを通過。この間お客さまは私一人。
バスを降りた後予約してたレンタサイクルを上野村産業情報センターで受け取り。1日2000円でヘルメット付き。
森の体験館(上野村産業情報センター)
〒370-1617 群馬県多野郡上野村楢原310−1
9:00~17:00
0274-20-7072
木曜定休日
上野村を自転車でこぐにあたって今回は県道上野小海線を走ることにしました。道はとても狭い。
走っていくと御巣鷹の尾根の表示がありますが11月15日から冬季通行止め。ぶどう峠を目指して自転車をこいでいく。
勾配のきつい中をこいでますがこの時車とは全くすれ違いませんでした。私が上野村をレンタカーで訪問した時は秩父市から国道299号線を進んで上野村の道の駅で休憩、そこから299号線を佐久穂町の海瀬駅まで進み軽井沢、万座、渋川と進み関越道経由で地元の浦和に帰りました。この工程は日帰りでこなしましたが今となっては無理をしたなと思います(笑)
ぶどう峠はものすごい急勾配、カーブ続きで足に来ます…。
自転車をこぐこと1時間半。16km進んで御巣鷹山の展望台に到着しました。自転車でこいだのは大変ですがこの時感じたのは
車は便利
運転は大変ですがアクセルを足で踏むだけで山道をすいすい上れるので車は使い方によっては便利であることを感じました。
右側に見えるのは御座山(おぐらさん)、左側に御巣鷹山が見えます。景色はとても最高で疲れが一気に飛びました!
少し進むと長野県北相木村との県境がありました。お地蔵さまがいたので無事に到達できたことに感謝してお祈り。
昼食は高崎のイオンであらかじめ調達したパン。満タンだった自転車の充電はハイパワーモードで走って35%まで減ってました。それもそのはず、スタートから標高を900m以上上ったのですから(笑)
よく食べたので下山開始。しかし下る方が恐ろしく急こう配をブレーキを掛けながら慎重に下りていきます。途中バイク数台とすれ違いました。
2 忘れてはならない御巣鷹
上野村の情報館に戻って水分補給。村内にはウォーターサーバーが各所にあって無料で水補給ができます。自転車はこぐのをやめると充電ができるタイプで走ったところ充電が35%から50%まで回復。
午後は上野村の中で一番訪れたかった場所、慰霊の園へ。
日本航空123便墜落事故
1985年8月12日に羽田空港から大阪伊丹空港まで飛行してた日本航空の飛行機が操縦不能に陥り上野村の標高1565mの山中に墜落、520名の命が失われて世界最悪の単独航空機事故となってしまいました。墜落地点は当時の上野村長によって「御巣鷹の尾根」と名付けられました。
本来は墜落地点である御巣鷹の尾根に行くのが理想ですが冬季閉鎖中なので今回はこの慰霊の園で手を合わせることにしました。ここでは毎年8月12日に慰霊行事が開かれて墜落時刻の18時56分になると黙祷。慰霊碑近くには亡くなった方の氏名が刻まれています。
敷地内には事故を風化させないために展示館もありその中には事故当時捜索に当たった猟友会、消防団の村民の方のインタビューを聞くことができます。消防団の中には生存者の方の当時の状況を話してて驚きました。この事故では4名の生存者の方がいたのです。墜落したのが山の中だったので捜索には時間がかかったことがインタビューから伝わりました。もしもっと早く見つけられてればと思いましたが当時できることは限られてました。
この慰霊の園には日本航空グループの社員の方も多く訪れます。
上野村ふれあい館(16:00)→新町駅(18:38) 日本中央バス
空の安全を願って情報館でレンタサイクルを返却。バスに乗車して新町駅まで向かいます。
途中見えた上野村役場、ここは墜落事故が起こった当時マスコミが集結して役場の業務ができなくなるほどでした。
途中神流町の万場バス停で5分の休憩時間。バスは小型で座席は固くしんどかったです。しかし上野村村内で通学の子ども数名が乗車した以外は私だけでしたし狭い道も多くあったのでこの規模のバスがちょうどいいと思います。
万場バス停を発車しましたがお客さまは誰一人乗ってきません。神流町から藤岡市に入ると埼玉県神川町との県境に沿ってバスは走ります。神川町はちょうど1年前に訪問して冬桜がきれいでした。
新町(18:57)→大宮(20:07)
八高線の群馬藤岡駅でお客さまが一人乗ってきて終点まで私を含めて2人で乗車。2時間半の長いバス旅ですが景色を楽しめました。近くのスーパーで夕食を買って高崎線の車内でパクリ。今回の旅はここまで。
〈おまけ〉
今回私は上野村を訪問して御巣鷹山の日航機事故の悲惨さを知った自分としてその次の週に日本航空の安全啓発センターの見学をしました。右の羽田空港第3ターミナルからの写真に見える格納庫近くに安全啓発センターがあります。このセンターは事前に予約をしたうえで無料で見学ができます。写真撮影は不可。
安全啓発センターに到着して案内役を務めたのはパイロットの候補生で現在地上職の研修中でした。センター内ではJALが123便の前に起こした事故についての説明があり1972年のニューデリー事故では乗員乗客だけでなく空港付近で作業してた作業員も犠牲となりました。
そして123便事故の説明に入りましたがこのセンター内には当時御巣鷹山に墜落した飛行機の破片や乗客の遺書、遺品が展示されています。中でも衝撃だったのが当時乗客が座ってた座席で原型をとどめないほどぐちゃぐちゃでした。
1秒で50m急降下 墜落時には100G以上の衝撃 遺体は手足がないものもあった
説明を聞くうちに涙が出そうでしたが上野村を訪問した自分としてはこの現実もしっかり聞きました。自由見学では遺族の書いた方の絵本、JALグループ新入社員の安全に対する誓いなどを見ました。飛行機に乗っただけではわからなかったことが理解できました。
見学後、啓発センターを出るとそこには今飛び立とうとしてる飛行機。123便の事故以降大きな事故は起きていませんがこれは航空関係スタッフの方が安全運航に努めてる証。
飛行機が安全に飛んでほしい。
今はLCCの登場で飛行機が身近な存在になっていて定時運航が叫ばれています。しかし定時運航はどうでもいいんです。2023年6月には稚内空港で油圧システムトラブルで飛行機が欠航しましたがそれでもいいと思います。危険な場合はお客さまを乗せない方が賢明です。9月に熊本からJALに搭乗した際は羽田周辺の悪天候で100分遅れましたが最終的に目的地に着いてます。あの時は混乱してましたがスタッフの方のおかげで着いたのですからむしろ素晴らしいと思います。お疲れさまです。
今年20回以上飛行機に乗りましたが安全に飛行機が飛べたおかげでいろんなところを旅できました。もちろん飛行機だけでなく鉄道やバスなどの公共交通が安全に運行ができましたしそのおかげでいろんな出会いもありました。
公共交通機関に携わるすべてのかたに感謝
長くなりましたがご覧くださりありがとうございます。
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